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2018沖縄県知事選候補 玉城デニー

基地の町のロック少年が沖縄県知事に立候補するまで【玉城デニー インタビュー 後編 「新時代沖縄」編】

インタビュー前編 生い立ち編 では、沖縄で生まれ、「基地の町のロック少年」として育った玉城デニーが、ラジオ・パーソナリティを経て、政治家を志すまでのストーリーを聞いた。このインタビュー後編 では、いよいよ彼の掲げる「新時代沖縄」構想の全貌が明らかになる。

彼の口にする「新時代沖縄」の意味とは? 辺野古新基地建設への反対は現実的な選択肢なのか? そして転換期を迎えた沖縄の未来への展望はどんなものか?

「ウチナーンチュこそが新時代沖縄の最大のフロンティアなんです」

デニーは、平和と豊かさを両立し、ウチナーンチュの可能性を最大限に引き出すカギは、「人財育成・人づくり」にあるのだ、と語る。翁長前知事の遺志を継承・発展させた彼が描く、新しい沖縄政治のビジョンは一体どのようなものか? 注目のインタビュー後半が公開です。

翁長前知事が遺したものーー「豊かで誇りある沖縄」

——インタビュー後半では、デニーさんの政策について具体的にお聞きしたいと思います。が、その前にまず、翁長さんが亡くなり、後継者として話を受けたときの気持ちを聞かせてください。

突然のことで、非常に驚きました。けれど、個人的にも尊敬していた翁長前知事が僕の名前を出してくれたのはこの上なく光栄なことで。翁長前知事がこの4年間、県知事として進めようとしていた方向性を、手放したり、逆戻りさせたりしてはいけない、と身が引き締まる思いでした。

僕なりに表現すれば、翁長さんは二つのことを大切にしていました。ひとつは沖縄の、ウチナーンチュのアイデンティティ。もうひとつは、戦後の沖縄が一貫して希求してきた平和への想いと豊かさ。その二つを自分も、しっかりと引き継いでいくつもりです。

——翁長さんは「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉をよく口にしていました。デニーさんもこの言葉を出馬会見で口にされていましたね。

沖縄はこれから新しいステージへ向かおうとしている、僕はそう思っています。そしてきっと、翁長さんもそう思っていたのでは、と。彼はアメリカ統治下の沖縄も、復帰後の沖縄もずっと見てきて、ついに沖縄のアイデンティティを十分に発揮できる時代がきたんだ、と決意して知事になったんじゃないか。

——デニーさんは翁長さんの「誇りある豊かな沖縄」という言葉も引き継いでいます。これについては?

あの言葉はとても良くできてるんです。戦後沖縄の歴史を振り返ってみると、その一方には、基地に反対する人たちが米軍に抗いながら守ってきた「誇り」があります。他方で、保守と呼ばれる側は、時に日本政府と一体になりながら、それでも沖縄として主張すべきところはきっちりと主張して、沖縄に「豊かさ」をもたらしてきました。

つまり、イデオロギーや立場は違っても、それぞれ沖縄の「誇り」と「豊かさ」をお互いが追求してきたんです。でもお互いに対立したままでは、新しい時代の沖縄はつくれない。互いに相手がやってきたことを認め合い、腹八分、腹六分で理解しあって、ウチナーンチュがひとつになる。それが僕なりに考える、翁長さんの「誇りある豊かな沖縄」という言葉の意味です。

辺野古だけじゃない。現実的な基地返還のビジョンがある

——しかし、新基地建設をめぐっては、県民は分断されがちです。

沖縄の中には色んな立場の人がいて、色んな主張がある。僕は、辺野古に新基地を作らせない、埋め立て承認撤回を支持するという立場です。でも、基地で働いている人たちにだって生活があります。そのことは絶対に無視できない。基地負担の軽減は県民の願いですが、それが基地で働く人から仕事を奪う結果になっては意味がありません。

沖縄の誇りを守りつつ、どう県民の生活の豊かさを実現できるか、その両立を追求していくのが僕の使命だと思っています。翁長知事がやろうとしていたことの本質を見ないで、「誇りをあきらめて豊かさを実現しましょう」というのでは、沖縄は古い政治に逆戻りしてしまいます。

嘉手納基地のゲート前で。

——具体的にはどうやって基地問題を解決していくつもりですか?

まず、現在基地が沖縄社会に与えている影響を冷静に評価すること。そして基地返還後に実現可能な経済ビジョンをはっきり示すことです。

次に、基地負担の軽減を求めつつも、基地から収入を得る人々の生活を守る。将来基地を返す時には、新たな雇用の場をつくり、新たな職場で働くためのスキルを身に着ける機会をつくる責任が国にはあります。それが戦後、基地との共存を強いられてきた県民に対する、最低限あるべき補償だと思います。そのことを強く国に求めていくこと。

最後のひとつは、時代の変化を捉えた返還跡地利用計画を策定することです。「アジア経済戦略構想」をみてもわかる通り、いまや沖縄は日本の辺境の一地方から脱して、日本経済をけん引するフロントランナーを目指しています。軍事ではなく、経済の面から沖縄の新たな価値を提示していくことが重要です。

——本土との関係はどうでしょうか?

沖縄が持続可能な経済発展の軌道に乗れば、国にとっては税収のアップに繋がりますし、発展するアジア経済へアクセスするための国内随一の戦略拠点を手に入れることができます。そうすれば対立することなく、お互いに自立した関係に立ち返ることができるはずです。基地の跡地利用も飛躍的な発展の可能性を秘めている。つまり長期的な視点に立てば、win-winの構図が描けるんです。

目指すのは平和と経済の両立です。僕は右でも左でもなく、その真ん中に立つ一人の沖縄の政治家として、そう主張します。

新基地建設に反対しているデニーだが、同時に、基地があることで生まれた文化をどんな政治家よりも身近に感じてきた。「いつか基地負担の問題が解決されたら、戦後沖縄がアメリカとの出会いの中でつくり上げてきたカルチャーは、きっと文化史的な価値を持つはず」。

「新時代沖縄」の使命は、ウチナーンチュの可能性を引き出すこと

——デニーさんは今回の選挙で、「新時代沖縄」という言葉を掲げています。これにはどんな意味がありますか?

さっきお話しした通り、沖縄は「誇り」と「豊かさ」を両立させることのできる、新しい時代に入ったんだ、という意味で使っています。これまでの対立を超えた、新しい政治の可能性が求められている中で、翁長前知事の掲げた「誇りある豊かな沖縄」を発展的に継承したのが、僕の「新時代沖縄」の考え方です。

よく言われるように、沖縄への観光客数はついにハワイを超え、那覇の風景も大きく変わりました。しかし一方で、子どもの貧困問題や、若者の離職率・非正規雇用の問題、それから那覇への人口集中の問題など、課題もたくさんあります。これから沖縄にどんな未来が描けるのか、これまでの対立軸を超えてともに考えるべき時が来ています。

翁長前知事が那覇市長時代に建てた「うふシーサー」近くの壺屋通りを案内してくれた。デニーが子どもの頃の那覇市街は今よりも雑多な空気が充満していたそう。

——4年後の2022年には、沖縄が本土に復帰して50周年を迎えます。

そうです。復帰50周年へ向けて、いま生まれている新しい可能性を、県民とともに広げていきたい。沖縄の若い人たちが、自分たちの夢や将来を実現していくために、新時代の沖縄政治はどういうメニュー・予算・ビジョンで応えていけるのかが問われています。県民の生活に根差した生の声から、一つひとつの政策をつくっていきたい。

——新時代沖縄がもっとも力を入れる政策はズバリ、何ですか?

「人」です。僕は未来の沖縄の可能性は、沖縄に住む人たち、つまりウチナーンチュそのものに秘められていると考えています。もちろん産業基盤やインフラの整備も大切ですが、なによりも人財育成、人づくりです。

たとえば、沖縄の若者の離職率・非正規雇用率は非常に高く、女性と子どもの貧困問題も極めて深刻な水準にあります。今後沖縄がどのような発展モデルを選ぼうと、こうした状況を放置したままでは、持続可能な沖縄の未来を展望することはできません。

まずは、県民ひとり一人の生活をしっかりと保障していくことが最優先。そして、こうした課題に取り組むには、行政だけでなく、民間企業やNPO、NGOなどと連携し、ネットワークを構築することが不可欠です。

那覇市内でも石畳の通りは珍しくなってきた。伝統的な琉球の石畳はわざとでこぼこした石を使い、雨の時に足が滑らないようにしていた、と解説してくれた。

厳しい現実は沖縄の「伸びしろ」。バラマキ政治には限界がある

——おっしゃるように、沖縄は県民所得、子どもの貧困率、離職率・非正規雇用率など、いずれの数値も厳しい水準にあります。打開策は何でしょうか?

大切なのは、その厳しい現状を、沖縄社会の「伸びしろ」だととらえることです。若者・女性・子どもの抱える課題の解決は、今後の沖縄社会に活力を吹き込む、未来への投資です。創造性とエネルギーを秘めているのに、それを活かす機会を与えてこられなかった人たちにまず光を当てる。

一人ひとりが個性を活かし、誇りを持って働けるように、数値目標だけにとらわれず、きめ細やかに対応していきたいと思います。

——具体的にはどのようなものでしょうか?

僕が知事として働くことになったら、まずは県民の所得を増やすことに力を注ぎたいと思っています。県民ひとり一人の生活基盤の安定が、今後の豊かな沖縄社会の発展につながると考えるからです。でも、その先に、沖縄が地理的・歴史的な個性を活かし、日本のトップランナーとして、独自に発展していく可能性を、僕は見ているんです。

それって、単に「現在は47位の所得を46位にしよう」って考えるより、ワクワクするでしょ? ウチナーンチュ自身が元気になれば、県民所得を引き上げる以上のことが可能なはずなんです。

待機児童をなくし、就労支援に力を入れ、保育や医療を可能な限り無償化する。これは最優先課題として取り組むことを約束します。でも、それが「沖縄の新たな発展モデルへの投資なんだ」という意識を持たないと、単なるバラマキに終わってしまう。

新しい時代の可能性をみんなで追求していく、という意識なしには、選挙目当てに、実現不可能なメニューを並べる結果になってしまいます。

新時代沖縄は、若者・女性・子どもたちも主人公

——翁長前知事は一括交付金を使って子どもの貧困問題に力を入れて取り組みました。この点はどう評価していますか?

割合にして30%、つまり3人に1人が貧困状態にある、という沖縄の子どもの貧困問題の深刻さは、翁長県政になって初めて、その実態が明らかになりました。復帰後の沖縄は、「本土との格差」を埋めようと、社会基盤整備を中心に予算が投じられ、頑張ってその規模を拡大し続けてきたわけですが、他方で「沖縄内部の格差」は見落とされがちだったのかもしれません。これからの豊かさはやはり「人と暮らし」に光をあてていくものでなければならない。

告示日の第一声は母の故郷である伊江島。伊江島は「島ぐるみ闘争」が始まった場所でもある。後方の岩山は「伊江島タッチュー」。島では「ぐすくやま」と呼ぶ。

——今後沖縄のすべての可能性の土台にあるのが「人」であり、貧困対策や所得対策はそのための投資である、ということですね。

翁長知事もアジアのダイナミズムを沖縄に引き入れることに力を注いできましたが、人を育てることで沖縄を飛躍させていくプログラムはこれから一層重要になります。

若い人が自分で考えて、やりたいと思ったことが認められる、支えてもらえる、そういう政治への信頼関係を構築していくことが大切です。特に新時代の沖縄を担う、女性や若い人たちの声を丁寧に拾うことで、その可能性を最大限引き出していきたい。

繰り返しますが、沖縄経済飛躍のための原動力は、なによりも人です。そしてそれが、政官民が一体となった沖縄の団結力、ネットワークの力になっていくはずです。ウチナーンチュも、沖縄という島も、とてつもない可能性を秘めている。その確信が僕の「新時代沖縄」構想のど真ん中にあります。

選挙中も街宣だけでなく、様々なグループとの意見交換にも力を入れるようにしている。

新時代沖縄は「付加価値型観光立県」を目指す

——最近の沖縄観光の伸長は著しく、ここ数年の間に沖縄の風景は大きく変わりました。那覇を歩けば様々な言語が飛び交っているし、まさに「新時代」という言葉通り、多くの県民が時代の変化を肌で感じていると思います。

確かに観光振興には可能性があります。しかし、現在の「とにかく客の量を増やそう」という路線は、単に地理的に近いから、安くて便利だから沖縄に来てください、という次元にとどまっています。その意識を変えずに、ただインフラなどを拡大しても限界があります。これからはむしろ「沖縄にしかない価値」を僕たち自身が意識的に発信していかなければいけない。付加価値を高めていく工夫と努力が欠かせません。

那覇の国際通り。那覇はこの数年で大きく姿を変えた。

——そのための第一歩はなんでしょうか?

たとえば、観光産業で働く若者の多くは非正規雇用です。これから世界と沖縄を橋渡しできるような人材を育成しなければならない時に、観光産業で働く人たちを大事にしないようでは、その可能性を引き出すことはできません。

これからの沖縄は、英語や中国語だけではなく、一層多くの言語に対応していかなればなりません。それにITを駆使して、世界に沖縄の魅力を発信する創造性を持った人材も必要です。沖縄を飛び出し、世界各地に出かけて行って、現地と沖縄を結び、世界中で沖縄の理解者を増やしていくような主体的な動きが求められている。もちろん、友好関係にある国々との発展にも繋がります。

ここでもやはり、鍵になるのは人づくりです。観光というのはひとつのわかりやすい例で、他の産業でも同じことが言えると思います。沖縄が他には真似できない価値を生み出すには、その価値の源泉である、一人一人の個性や可能性を大事にしなければ。ウチナーンチュこそが新時代沖縄のフロンティアなんです。

ウチナーンチュ自身が沖縄の魅力を再発見する

——そうした人材育成を踏まえたうえで、今後の沖縄観光の最大の武器はなんでしょうか?

今も多くの観光客がアジアから訪れていますが、ハワイのようなリゾート滞在型ではなく、クルーズ船で来て4時間滞在とか、ツアーで来て2泊3日といった短期滞在がパターンになっています。滞在中に一人ひとりが使うお金は、まだまだハワイには及びません。

でも僕は、沖縄はハワイを目指す必要はないんじゃないかと思っています。やみくもに開発を進めるのではなく、持続可能な自然開発を基本にして、沖縄にしかない自然環境を未来への財産としてしっかり残すこと。

その上でたとえば、医療ツーリズム、グリーンツーリズムといった、訪れる人たち、一人ひとりに合ったメニューを充実させる。最近ではブルー・ツーリズムなど、イルカと触れ合うセラピーのような、様々なツーリズムのモデルが提案されています。沖縄に来て自分らしさを取り戻すというような方向で、ツーリズムを伸ばしていけると思います。第一次産業と密接につなげていく地産地消型のツールも成長株です。

さらには離島の問題もそうです。不便さをネガティブに捉えるのではなく、島々の個性を発揮できる環境を政治が作っていく。そういう視点なしに、単に便利なリゾートを画一的に目指すのはナンセンスだと思います。

八重山、宮古など、離島もくまなく回り、丁寧に声を拾っている。

——他にはありますか?

なにより、僕が思うこの島の一番の魅力は、ウチナーンチュの平和への想いです。考えてみてください。なぜ毎年全国の修学旅行生が沖縄を訪れるのでしょうか? それは、沖縄が単にたくさんあるリゾートの中で優れているとか、安いからとか、そんな理由ではないはずです。

戦後の沖縄の、平和を希求してきた長い歴史は、それ自体にすごく価値があります。その歩み自体が、本土やアジア、世界の人々を沖縄に惹きつける力となっている。新基地建設は、その平和の価値を傷つけてしまうことになる。

沖縄という土地に根付いた平和への意志は、誰も真似できない特別な魅力になっているんです。その意味では、まずわれわれウチナーンチュ自身が、沖縄の価値を再発見しなくてはいけません。

告示初日には辺野古前のテントを訪れてスピーチを行った。

新時代沖縄をつくるのはデニーじゃない?

——街宣では、「新時代沖縄をつくるのはみなさんです」と呼びかけていたのが印象的でした。これにはどういう意味があるんですか?

僕の考えている新時代沖縄のビジョンは、翁長知事も言っていたように、ウチナーンチュをひとつにしなければ実現できません。たとえばある課題を解決しようとしたとして、行政が諮問機関を設けて有識者を呼び、計画を作って、予算をつけ、解決策を実行していく…その過程で、本当にその問題で困っている人たちや、現場で働く人たちの感覚とズレてしまうことってよくあるんです。

だから、NPOや民間企業、専門家や教育機関などと綿密に連携していきます。復帰50周年に向けた県民参加型のプラットフォームを設置するなど、とにかく新しいエネルギーを呼び込みたいと思っています。

その意味で、新時代沖縄をつくるのは僕だけじゃない、むしろみなさんです、と。この点、翁長県政で実施されたプロジェクトは、すごく大きなヒントになっています。

告示日の夜、那覇の県庁前での街宣には大きな人だかりができた。

——参加型の県政という意味でも、翁長県政を引き継ぐということでしょうか?

翁長さんは沖縄の良心といってもいい、懐が深く、柔軟な保守政治家でした。すごくリーダーシップのある方だったし、同時にすごく温かい方でもありました。その方が遺してくれたヒントを、当選後も僕なりに考え、行動していきたい。

僕のような、必ずしもオーソドックスな経歴とは言えない政治家の名前を翁長さんが口にした、そのことの意味を、ずっと考えています。僕は国政に転身してからも、誰よりも沖縄の未来を考え、行動し、勉強してきた自負があります。その結果として、今の保守中道という立場にたどり着いた。

けれど、これからの沖縄政治が目指すべきなのは、単に保守と革新の垣根を超えるだけではなくて、政治のアクターを広げて、より多くの人々を包み込むように、その輪を広げていくことなんじゃないかと思っています。

選挙中、石垣島に宿泊した際はライブも行った。

——その意味で、デニーさんがこれから目指す県知事像はどのようなものですか?

政治家は何より政策で勝負です。あとは誠実さかな。当選したら、今回県民に示したビジョンを、愚直に実行していきたい。でも、僕ひとりが今の沖縄の抱える課題をすべて解決できる、というのは嘘になります。僕は県民が政治に参加する窓口になりたいんです。

いま政治に関心を持てないという若者が増えていること自体、政治の責任といえるかもしれません。だから、「若い人は関心がない」とただ嘆くだけではなくて、政治の側から、参加のあり方を提示していこうと思います。

僕は人を巻き込むことに関しては自信があるから(笑) これまで政治から遠ざかっていた人たちも含めて、一緒に、新しい沖縄政治をつくっていけたらと考えてます。